サッカー少年はコーディネーターを夢に見るか?

H.H (30)

2016年1月入社
パーソナルサービスグループ マネージャー

まだ人材コーディネーターという言葉が広く浸透していなかった時代から活動。 現在は最年少でプロモーション事業の部長に昇進し後輩指導にあたる。 そんな彼にも転職で悩み、見つけた天職があったからこそ話せることがあります。

好きな仕事でも、会社は好きじゃない

姉の影響で小学校1年生からサッカーボールばかり追いかけてきました。高校最後の大会が終わったときに、ようやくそこで「進学」か「働く」ことを選ばないといけないと気づいたんです。けど僕のやりたいことは仲間とするサッカーしかなくて、高卒ですぐ働き出すにも気持ちの準備ができていませんでした。専門学校ではスポーツ施設で働く知識を学び、新卒で入社した会社ではフットサル場の施設管理を行ってきました。「スポーツ人口を増やしたい」を大義名分にして1年半ほど働きましたが、給料が低く1年半で挫折してしまいました。大好きなサッカーは趣味で楽しむことにし、稼ぎたい一心でハローワークで紹介された地元の広告会社で営業として再スタートを切ったんです。

けど会社は楽しくなかったです。家族経営でよく分からないルールが多く、一日の終わりに上司への電話では2つ程声のトーンを上げて報告をしないといけませんでした。3か月で辞めていく人たちを横目に「お前は辞めないよな」と言われ続けて辞められず。帰社した際に同期がネクタイを掴まれて叱責されている姿を観てようやく踏ん切りがつきました。必ずしも「紹介された会社が自分に合っている」とは限らないことも知りました。

紹介される側から、紹介する側へ

けど営業だけは楽しかったです。サッカーで磨いた負けず嫌いが発揮されて、「いらない」から始まるお客様に「やってみたい」と言ってもらえた瞬間は何より嬉しかったです。そのための準備やお客様のことを考えている時間は、「どうしたらゴール決められるか」と悩むのと似た頭の使い方をしていました。次の仕事は「自分が知っている商材」で力を試してみたい、そう思いGWCでケーブルテレビの営業を始めてみたんです。

その時の上長にはよくご飯に連れて行ってもらって、仕事の仕方や今後GWCがどうしていきたいのかを教えてもらっていました。本社に来ないかと言ってもらえた時、「僕も将来、上長のような仕事をするんだ」とイメージがちゃんとできていたから、不安はなかったのだと思います。人材を欲している企業と、求職者を繋いでいく仕事で、はじめは自身がお世話になったケーブルテレビ会社に人材を紹介するところから始めました。ハローワークに仕事を紹介されていた僕が、今では紹介する側なんだと感慨深く、今までの働き方とは違う責任を感じました。

一緒に同じ目標を追いかけたい

これまで自分の営業ノルマを追っていく仕事ばかりでしたが、今は会社の数字や部下の数字を作ってあげる立場。真剣に向き合う部下が多いからこそ、やむを得ない辞退や退職があれば落ち込むこともあって、上手く後輩を指導できなかったと涙する子もいます。「その子の為にこれでもかって最善を尽くせたなら、それが良い」と当時自分も励まされ救われた言葉をなぞっています。だからこそみんなで半期の目標が達成できたときは本当に嬉しくて、お疲れ様会として関東と関西の同僚で、わざわざ中間地点の岐阜を選んで温泉旅行に行ったのは良い思い出です。

僕が憧れた上長は、今も僕の上長です。自分が育てたコーディネーターを、もっと良い役職に引き上げることが当分の目標です。自分も頑張りを評価されてきて育ったから、同じようにしてあげたい。営業も好きですが、僕はやっぱり仲間と一緒に同じ目標を追いかけるのが好きみたいです。

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